みなさま、こんにちは
神戸・芦屋☆西洋占星術師のmanaです
ここでも時々書いていますが、ここ一年くらいで自分の心境がかなり変わってきています。
私は基本的に飽きっぽくて気分屋で心変わりの多い人間なので、自分で自分の「心境」を信用してないのですが(笑)
だけど、占星術的には大きなくくりで関心が向かう方向とかそういうのが大きく変わっていく時期というのは、大体10年スパンであるものなんですよね。
ホロスコープで使われている惑星には、「年齢域」という捉え方があって、その惑星の意味することをその年齢域の頃に発達させる、と考えられています。
この考え方自体、占星術の長い長い歴史の中ではごく最近出てきたもので、20世紀に入ってから提唱され始めたそうですが、私は個人的には納得するものがあります。
詳しくはそういうことをわかりやすく書いている方がたくさんいらっしゃると思うので検索してもらったらいいのですが、例えば金星は「愛、美的感覚、価値観」を表す星です。
その金星の年齢域は「16~25歳」くらい。
この年齢の頃に自分にとっての「美」や「愛」や「価値観」を育てるってことですね。
ちょうど大体10代後半から20代前半って、ファッションやメイクに興味を持ったり、恋愛を経験したり、自分にとって美しいと感じるもの、楽しさや面白さ、快適さをもたらすものがなにかを知っていく時ですね。
つまり何が自分にとって「価値あるもの」かを構築していく時間です。
そしてその次に来るのは26~35歳の「太陽期」です。
太陽は「自我」を表す星ですから、自分自身を構築していく時。
私はどう生きたいのか。
私らしさとは何か。
「金星期」に価値観を構築したうえで、「太陽期」は自分自身の軸を作っていく時と言えます。
この年齢の時に自分の方向性や目標などを見出していくことが出来れば、次にやってくる「火星期」への移行はスムーズでしょう。
行動力や闘争心を表す火星の年齢域は、36~45歳くらいに当たります。
「太陽期」で方向づけた目標に向かってまっしぐらに動いていく時。
欲しいものを獲得するために頑張るエネルギッシュな時間になることが多いです。
実際、仕事や家庭のことなどで一番忙しいのもこの年齢の頃かもしれませんね。
そして「火星期」に熱く燃えたあとやってくるのは46~55歳くらいとされる「木星期」です。
豊かさや寛容さを表す木星ですから、この時期は「火星期」に頑張って育てた樹木から果実を受け取るようなイメージ。
火星の頃のように突き進むよりは、ゆったり寛容に豊かな時間を獲得していくって感じです。
実際、火星期の頃のような働き方は木星の年齢の頃には肉体的にもきつくなってきますから、そんなにあくせくできなくはなりますね。
そう考えると、いかに惑星の年齢域の頃にその惑星の意味することを育てることが大切かがわかってきます。
例えば、金星期の頃に恋愛などを経験していないと、40代になっても10代や20代のころのような愛情表現しかできなかったりします。
太陽期にある程度自分というものに向き合って軸を作っていないと、火星期に行動する焦点が定まりませんし、木星期に受け取れる成果も曖昧になる。
実際には、それぞれの惑星が何座でどのハウスに入っているか、その惑星のアスペクトがどうか、を見て、その人がどんなことを通してその惑星の意味することを経験するかなどを読み解きます。
人それぞれなので一概には言えませんが、大枠でとらえるとこの年齢域は誰にとってもそれなりに当てはまるのではないかと思います。
私の経験で言えば、金星期でまだ自分の価値観が構築しきれていない頃に結婚しています。
今思えば、もっと遊んだり、キラキラしたものも楽しめたのかもしれないと思ったりしますし、そういうことから自分なりの価値観を築いたうえで結婚しても良かったのではないかと思いますが・・・
そして太陽期ですが、私の太陽は「パートナーシップ」を表す7ハウスで魚座です。
そして太陽は「家庭」を表す4ハウスの海王星とスクエア、「社会」を表す10ハウスの月ともスクエア。この3つの天体がTスクエアで、私の人生の核はここに集約されているかのようです。
実際、この時期の結婚生活の影響力はすさまじかった(笑)
こんなにままならないものかと。
もう相手に振り回されまくりでした。
この太陽の特徴からとにかく自分を犠牲にしたと今なら言えます。
26歳から35歳は正直人生で一番つらかったかもしれません。
しかし、さきほど「人生の核はここに集約されている」と書いたように、この経験は私にとってとても重要な意味を持ちました。
辛いな・・・と日々うつむいて過ごす中でも、自分自身を省みることが出来ましたし、結果、自分で選択したことなのだから人のせいにしないで自分で乗り越えなくてはいけないという覚悟も持てました。
子供もいましたし、しっかりしなければと。
29歳前後にやってくるサターンリターンの時期も相まって、私自身はここでやっと「大人」になれたということですね。
ちなみにこの時期はトランジットのハードな影響もかなり受けていたと思います。
もともと、太陽が「パートナー」を表す7ハウスにあり、しかもアスペクトがハードなので、太陽期に結婚生活で苦労するのは当然のことでもあり、しかしその経験を通して私は「自分」を構築してくことが出来たと言えます。
ある意味必要な経験だったと思います。
というのも、そうやって腹をくくった悩み多き太陽期に私は占星術やタロットに出会っています。
結婚して子供を産んで、もうそれで私の人生は終わりかなって思っていた30代前半でしたが、その頃に何度か占いに行くという経験をして、
「これ自分でも出来たら面白いかも」
と初めて思ったんですね。
それまではお稽古事も続いたことなかったのですが・・・
それで占星術とタロットを学び、これを仕事にしてみたいなぁって漠然と考えていたころに「火星期」に突入。
子供がまだ小学生だったこともありなるべく家にいたかったので、学校に行っている間だけお家にお客様に来ていただいて鑑定をする、というスタイルでこの仕事をスタートさせました。
火星期なので熱意もあり、初期の頃はあちこちに顔を出して交友関係を広げたり、それまでは自分は絶対にやらないタイプだと思っていたのに積極的にSNSでの発信もやっていました。
私の火星は「社会」を表す10ハウス。太陽と違ってアスペクトもかなり恵まれていたので元気一杯やっていましたね。
太陽期の頃のメソメソした感じは何だったんだって思うくらい。
実際、この頃私が仕事にのめりこんでいくことを、夫も息子も応援してくれたので、私って案外恵まれているのかなって気づいたりもしました。
軌道に乗った頃に子供が小学校を卒業し、いい機会だと思って自宅から歩いていける距離に仕事用のサロンを借りました。
そこからは仕事と家事の両立で、ほんとに忙しく動き回っていました。
スキルアップもしたかったので、改めて占星術やタロットの講座にも通ったり、自分で主催して著名な先生の講座を開いたり。
めまぐるしく働く日々が楽しかったし、それでよかったんですよね。
コロナ禍になってもあまり変わらず熱心に働いていましたし、息子の大学受験もあったので、結構緊張感をもって家との両立も頑張っていました。
それがどうでしょう(笑)
今年46歳になり、木星期に突入したらもうそんな元気がないのです
今まで通り、お仕事は好きだし楽しいですよ
でも以前のように飛び回ることは考えられないし、もっと一つ一つの仕事を深く、丁寧にやりたい。
ゆっくり時間かけたい。
という感じで「味わい」を求め始めている自分がいます。
実際、息子は成人し、もう親の役目がほぼ終わったこと。
時間に余裕が出来てゆっくりできるようになったら一気に脱力して、もうだらけちゃったことが理由として挙げられますが
しかし、それこそが「木星期」。
火星期に頑張ったし、そろそろゆったりとやりたいんだよ。の時間が来たのですね、私にも。
2年くらい前までは、木星期はもっと時間に余裕が出来るからもっと頑張るんだと息巻いていたのに、心変わりも甚だしいね。
その木星は8ハウスにあり、10ハウスのようにバリバリやる場所でもないんですね。
受け取ることに恵みがもたらされる8ハウスの木星。
これまで、いろんな人が私に手を貸してくれて応援してくれて、そのおかげで何とかやってこられたのですが、助けがないと何もできない自分が情けなく、だから努力!実力を!という思いが強くて。
いつか誰の手も借りなくていい自分になりたいとか強く思いすぎていたんです。
「ひとりでできるもん!」
と叫んで、信頼している人から差し伸べられている手さえ振り払うような意固地さがここ数年芽生えていた私です。
しかし、今この木星期になって思うのは、援助に恵まれる8ハウスの木星は、私の人生に対するギフトなのかなってこと。
そしてそのギフトはまた誰かと共有できるものだと。
感謝して受け取って、それをどんどん自分なりに発展させて還元して喜んでくれる人がいたらなお良し。
というスタンスでいた方が自然ではないかと考えています。
実際、歳を重ねて経験したことは鑑定やレッスンで共有してなにか提供できる部分もあると思いますし。
これからはもっと自分が得た知識をたくさんの人に還元出来たらという気持ちでレッスンにもますます励みたいと思っています。
肩に力の入っていた火星期。
これはこれで大切な時間でした。
だけどそろそろもう少し柔らかく生きていけたらいいかなって考えている木星期デビューしたての私です。
すごく長くなってしまったけれど、こうやって人生の変遷はネータルチャートだけでもある程度読み取れますし、
これでいいのかなって迷う時が来たら、もしかしたらそれは年齢域の切り替わりなのかもよってことでご参考になれば♪
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